栗城史多の経歴は?指再生とエベレスト挑戦の結果は?

こんにちは!
 
世界6大陸の最高峰に登頂することに成功し、
世界最高峰のエベレストに挑戦していた登山家の栗城史多さんが、
体調が悪化して下山する途中、死亡したことが確認されました。
 
ネパールの山岳協会によりますと、栗城史多さんはエベレストの
標高7400メートルのキャンプ付近で倒れているのが
21日朝になって見つかり、その後、死亡が確認されたということです。
 
公式Facebookでの報告

 


 


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栗城史多さんのプロフィール

 

誕生日 1982年6月9日生まれ(35歳)
出身地 北海道瀬棚郡今金町
出身校 北海道檜山北高等学校→札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業

 
栗城史多さんは、「冒険の共有」をテーマに全国で公演活動を行いながら、
年に1、2回ヒマラヤ地域での高所登山を行っていました。
 
登山家でありながら、株式会社たおの代表取締役を務め、2011年からは
よしもとクリエイティブ・エージェンシーとも業務提携を行いました。
 
日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦しており、
単独登山者を名乗っていました。
 
2012年にエベレスト登頂を目指していましたが、
その際に凍傷になってしまい、両手の指9本を切断する事態になりました。
 
指の再生医療をしていることを明かしてはいましたが
ツイッターなどでの画像を確認すると、指は再生されず
9本すべてを失うことになりました。
 


 


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今までのエベレストへの挑戦

 

2009年9月
体力の限界により7,950mで敗退。
 
2010年8月
二度目の挑戦 7,750mで敗退。
この挑戦で栗城隊のシェルパが1人死亡。
 
2011年8月
三度目の挑戦 7800m地点敗退。
食料などを埋め、一度ベースキャンプに戻り、再アタックを目指したが、
埋めておいた食料をキバシガラスに荒らされ、登頂を断念。
 
2012年8月
四度目の挑戦 7700mで敗退。
 
2015年8月
五度目の挑戦 サウスコル付近で敗退。
 
2016年9月
六度目のエベレスト登山。7400mで敗退。
風と雪が多く難しい条件だったと語っている。
 
2017年5月
七度目の挑戦 6800m付近で断念。
 
2018年5月
度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山。
撮影隊がルートを登って捜索したところ、死亡している栗城さんの遺体を発見。

 


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9本の指を切断した経緯

 
栗城史多さんは何度とエベレスト登頂を志しており
2012年秋に4度目のエベレストに挑戦しました。
 
その時に負った凍傷が悪化し、自力での下山が不可能に。
シェルパ(エベレストの案内人)によって下ろされ、
その後ヘリコプターで病院に搬送される事態になりました。
 
栗城史多さんは凍傷を負った自身の写真を2012年10月21日に
ツイッターで公開しました。


 
指の再生治療を受けるとツイッターで報告したものの、
2012年10月30日には凍傷で指を切断の見込みと発表しました。
 
その後2012年11月29日に左手の指5本を切断手術、
2014年1月6日に右手の指4本(親指以外)を切断する手術を受けています。
 

亡くなるまでの経緯を振り返る

 

 
今回の8度目のチャレンジのベースキャンプ到着から
亡くなるまでの経緯を振り返ります。
 
栗城史多さんに何があったのか、詳細を確認していましょう。
 

4月26日
ベースキャンプ到達予定であったものの栗城史多が高熱のため休養。
 
4月27日
予定より1日おくれてベースキャンプ到達。
 
5月2日
明日から登山開始を報告。撮影メンバーの一人が
腹痛で動けなくなり急遽帰国。
 
5月3日
2日夜から栗城史多さんが再び38度超えの高熱で休養。
 
5月5日
熱が下がったのでキャンプ2(6400m)到達。
 
5月7日
強風のためベースキャンプに。
栗城史多さんが再び咳が止まらないことを報告。
 
5月9日
まだ咳が止まらず、ベースキャンプでは
栗城史多さん以外にも咳をしている人が多いと報告。
念の為病院に行くも肺に異常はなし。
 
5月10日
翌日から再び登ることを報告。咳は多少治まった。
 
5月12日
キャンプ2到達報告。
 
5月13日
咳が止まったことを報告。
翌日から7000mまで登ることを報告。
 
5月16日
7300mまで順応を終えて下山。21日に登頂を予定
 
5月18日
キャンプ2に到着。
 
5月19日
若干咳が出ること、明日から登頂予定である事を報告。
 
5月21日10時頃
栗城史多さんの中継班が栗城さんの体調不良により
7400mから下山を報告。
 
5月21日15時頃
事務所スタッフが栗城史多さんを捜索した所
低体温による死亡を報告。

 

栗城史多の経歴、指再生、エベレスト挑戦まとめ

 
エベレスト級の高山では、酸素ボンベを用いない「無酸素」
連隊ではない「単独」での登頂が大変困難とされています。
 
栗城史多さんは2009年から、気温が下がり、気候条件も厳しい秋季
(9月~11月)でのエベレスト無酸素・単独登頂は前人未到だとして
挑戦を続ました。
 
凍傷で両手9本の指を失う大ケガを負って以降も、
エベレストに挑み続けてきました。
 
志半ばで夢を断たれた栗城史多さんですが、何度もチャレンジを
続けても諦めずに挑み続ける姿は、人々の心に
いつまでも息づいているでしょう。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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